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テーマ:暮らしを楽しむ(388197)
カテゴリ:日本ってなんだ研究
国はどうやってできるのか? ロビンソンプロジェクト“名古屋弁はどこと似てる”から、 奈良平安好きになった。“日本ってなんだ?”どうできてるんだに興味が広がり、 さらにさかのぼって、古代史にハマってます。 古代日本に影響を与えた国として、古代中国・中央アジアに興味津々。
歴史研究プロジェクトは、“世界は刺激しあって動いてる”と広がった。 日本から、中央アジアまで攻めていってるわ。 …だんだん大ぶろしきになってきたぞ!!
世界は、砂漠と山に突き当たったので、風が文化を伝えたとしか言えないわ。 でも、秦までは西洋の香りがプンプンするわ。 そして、大陸沿いに船は往来してたんじゃなかろうか? 縄文人は、大陸との移動も可能な操船技術があったかもという八丈島の遺跡もある。 砂漠からの風と、海の流れが日本をどんどん作ったみたいだ。
産経ニュースから、またまた日本に戻ってきた。 ここ数日、国はどうしてできたか?を妄想してる。 おいらの妄想は妄想まったくの嘘だけどね。 図書館の考古学・歴史研究書を読んで、一応時代順に記録してる。 その分からないところを妄想しているというわけだ。 歴史ブログやユーチューブで観たことは、参考程度としているよ。
さて、大国主が、最後に淡路島に行ったって言うのは嘘だった。 …嘘を書いてごめんね。記憶違いだったわ。 淡路島に行って死んだのは、小彦名命だった。スクナヒコは、大国主を助けて戦った人だ。 熊野の岬・淡路島に行って常世に行ったと古事記に書いてあった。 淡路島に行ったのは、小彦名彦(スクナヒコ)だった。 大己貴命(大国主)は、事代主と相談して、出雲を国譲りして、天孫系の后を迎える。美保や丹波出雲にいたが、大和事代主となる。 神武皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライズヒメ)は、三輪大物主の娘である。三輪氏というのは、大国主・事代主・大物主の子孫と考えられる。当時の国津系のトップは出雲系だったってことだな。姻戚関係を結び、臣下になったってことかなぁ? 大国主は、大和三輪山のご神体になったようだ。 スサノオと大国主は、地祇(国津系)に分類されている。 さて、これは、雄略天皇時代の大和のフォーメーションだ。 三輪山を中心に物部・大伴・阿部が取り囲んでいる。 …同族もしくは臣下? そして、和爾・平群・葛城・巨勢・羽田・蘇我が囲んでいる。 …元王たち? 当時葛城氏は大勢力だった。次々と后を出していた。
大和は、農地を持つ国ではない。 中央集権の都市首都としてできているのだ。 臣…平群臣・蘇我臣・吉備臣 …国津系の王族の子孫か? 連…大伴連・物部連・忌部連 …武官?直属系? 伴造…鳥飼部・陶部・鞍部など、スペシャル技術者集団 渡来系? 国譲りと婚姻によって国がまとめられていったような気がする。 ここがほかの国づくりと大きく違うところだな。 このあと、葛城氏・蘇我氏・吉備氏は、次々滅ぼされることになる。 …国津系を そして次に力を持った、大伴氏・物部氏・巨勢氏が九州磐井の反乱を抑える。 …直属系
さて、もう一人、国づくりで大活躍したニギハヤヒが気にかかる。 ニギハヤヒは、ニニギノミコトの兄弟といわれる。つまり、天孫系である。 当時の大阪辺りの国王ナガスネヒコの娘と結婚をしている。 そして、最初に大和を平定していた。 つまり、大和ができるまでの国津系のベストオブキングは、 大国主(大物主)とナガスネヒコだったわけだ。
ニギハヤヒは、イワレヒコとお互いの王の印(レガリア)を見せあってから、国譲りを決める。 …なぜここで、禅譲したのか?そこに興味があるなぁ。
その後ナガスネヒコは死ぬが、ニギハヤヒはどうなった?? 初代王となるはずだった人なんだけど…。 ニギハヤヒは、日本書紀には書かれていない。 消された天孫系の王子だ! 『先代旧事日本書紀』には、アマテラスの孫の火明命(ホアカリノミコト)が河内国に天降ったとされる。尾張・物部が同祖先とされるが…?? ニギハヤヒも河内に天降って、その後大和に移動している。混同しているのか、同一人物なのかわからない。 『新撰姓氏録』では、ニギハヤヒの子孫は、物部氏となっている。 物部氏は、天孫族に分類。 遠賀川流域に、二田物部・嶋渡物部・坂戸物部が見られる。 ニギハヤヒの領地は、遠賀川流域にあったのかと思われる。
今朝は、雨だからね。古代の妄想に漂った。 古代の王、ナガスネヒコと大物主に思いをはせて終わろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年04月14日 10時50分46秒
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