カテゴリ:日記またはメモ書き
振り返った話ではなくて、今の話。
ある中学生のお子さんが、テストで点が取れないという話を聞いて、 思わず私が言ったのが「のびしろしかないわ」byCreepy Nuts。 五教科450点取れてる子の成績をさらに上げるのは至難の業だけど もともと一割しかとれてないなら、いろいろ方法が考えられるよね?と 大学生のクマと話していて、彼が言うには「そもそも問題が読めているのか?」と。 読解力の問題では?とか、読解力か集中力の問題ということもありそうね、と いうのが私の意見。集中力なら、腹ヘリ、眠い、ありそう。または恋の病いかも。 ここからは振り返り。 うちの子らが中学生になったとき、私がしたのは、小学校のときと変わらず、 勉強は学校ですること、加えて宿題、定期テストは結果を見て、勉強が必要ならそのとき考えましょう。と話す。そしたら、授業をちゃんと受けていたうちの子供たちはみんな、五教科400点前後取れていました、ネコに関しては450点以上、クマは、場合によっては350点ということもあったので、それについては、都度都度対応する。基本は、地元公立中学から、地元公立高校への進学実績を考えて、どれくらい取れていれば進学しやすいか、その先の大学進学まで見据えて、あらかじめ方針を立ててしまう。中学1年の時点で勉強の仕方が間違っていなければ、そのまま生活すればいい。 そう思っていたので、一般的に、「怠けている」と思われるような時間も、それは本人にとって必要な自由な時間であって、自由に過ごすことで自分の将来にとって必要なことを学ぶ、得る時間になる、と考えました。つまり、旦那の「ゴロゴロしてるヒマがあったら勉強でもしろ!」をそんな必要はない!と言い切ることができたのです。「家で勉強しない子供たちを肯定して守る」のが私の役目でした。今のクマが言うには、学校の勉強は「教科書を読んでればできる」私も、今となっては、そう思います。教科書の内容を理解するのが難しい子供には、手助けが必要かもしれませんね。 何にしても、成績を上げるために時間を惜しんでただ苦しい思いをしろ、とは考えなかった。他人にとっては苦しいとしか見えないことも、好きで得意な人にとっては、楽しいことでしかないってことがありますね。 だから勉強を得意なことにしてしまえばいい、と思いました。かつて。(なんなら今も) 得意なことをして生活して、好きなことにお金と時間を使えれば理想的じゃん、と。 子供を育てるって、何も考えずに、世の中の流れに任せていてはいけないんですよ。 それぞれの家庭のやり方があって、私は、十分休ませて、詰め込み学習を避けたけど、もしかしたら 本人たちに聞いたら、もっと勉強させてくれてもよかったと言うかもしれないな、と最近思いました。 まあ、都度都度、こういう選択肢もあるよ、という話はしました。あなたたちは、選ぶことができる。 ただ、普通のサラリーマン家庭で三兄弟ですから、私立高校、私立大学という選択肢を取るなら、自分自身の努力も必要だ(アルバイトをするとか)という話もして、彼らは同じ努力をするなら、学校の授業を、頑張ることにしたんですね。 ですからその道で、それぞれの目標に向かって進んでいくことができている。 親ガチャっていうイヤな言葉がありますけど、すべての苦労を取り去って何でも与えてくれるのが、いい親かというと、そうとは言えない。でも、わざわざ、敢えて苦しい思いをさせるのは、親として、残念なことだと思います。う~ん、私にとっては同志、ですね、親子って。年齢は違うけど、共に同じ時代を生きていく。だから、子供たちより少し先に生きてきた私たちは、私たちの知恵や経験を総動員して、より良く生きていくことを考えなくちゃいけない。年をとって余計な口出しばかりして老害なんて言われてる場合じゃないんですよ。次の世代から学ぶことだって多いんだし。上の世代から学ぶことだってあるよ? できればあなたの役に立ちたいわ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024年11月14日 11時20分07秒
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