ひとやすみ
多忙な9月でした。8月は裁判官の夏休みがあって、しばらく訴訟も調停もお休みになるのですが、そのお休みのツケが8月末から9月にどっと押し寄せます。しかも、私が抱えている事件がいくつも大詰めを迎えていて、いやはや、大変でした。判決になる事件はそうそう多くはありません。全か無かの判決ではなく、お互いに譲歩し合って合意をするという和解を大抵手続きの終盤のどこかで検討するのですが、和解と言っても当事者が納得できなければ何の意味もありませんから、打ち合わせや電話を何度もしてどのような内容にするか検討します。山登りと一緒で頂上の手前が一番大変です。今月は、訴訟で2件和解、調停が3件成立、あと1件来週成立するかもしれない。そんな状態で、てんやわんやでした。こういう時は、こちらのメンタルをしっかりさせるのが一番重要な課題のようです。繊細な和解を模索しながら他の事件もどんどん進んでいくし、新しい訴え提起や申し立てをしていく、っていうのが流れ良く行ってくれれば良いのですが、そうもいきません。基本的に私は男女間のドロドロ問題事件を扱っていることから、夜遅くに仕事をしていると「せんせーい!もう私、悲しくて悔しくて」なんていう依頼者から泣きながらの電話が来たり、「あ、先生、良かった。事務所にいてくれて♪実はさっき…」とか電話してくる人もいるのです。どういうわけだか、私が夜遅いときに限って電話してくる人もいて、「この人の勘って一体…」と不思議に思うこともあります。今日も連休中だというのに、長話の電話が続いています。とにかく、精神を病んでしまう人の割合がなんと多いことか。これは日本の国力を揺るがす大問題です。メンタルをいかに強くなるように子どもを育てるか、これは現在の親や教育者の最大の課題なのではないでしょうか。離婚事件も、3年以上かかるような事件では、「生霊」の話が出てきます。「先生、生霊って信じますか?」と、恐る恐る言ってくる方が結構な割合でいるのです。私自身、生霊を見たことはありませんが、生霊とはかくもあろうかと思うような、怨念を感じさせる人はいると思います。「生霊を見た」という人が病気とも思えないし、多分、例え別居しようとも夫婦にはなんらかの精神的なつながりがあるのかもしれません。離婚そのもので手続きが何年もかかることはあまりありませんが、子どもの監護権や引渡し、面会など子どもの問題があると、その部分の手続きはぐっと長期化します。子どもの問題は本当にデリケートです。そういう長期化している調停や訴訟をまとめると、その日はガクッと力が抜けるような感じがすることがあって、そういう時は思考能力が落ちます。この前のウニトロなんてひどかった。自分が何をやっているのかわからなくなりました。ちゃんと空き教室借りて歌う練習もいっぱいやっていったのになあ。また、ウニトロの曜日が悪い。調停のある曜日なんだもん。午前も午後も調停に張り付きで、それが終わってから行くものだからウニトロではいつもパワーダウン状態です。ひょっとしたら生霊の祟りでしょうか??私に祟っても問題は解決しないけどなあ。祟りなんか跳ね飛ばす勢いで、精神力を高めなければなりません。でも、ケースケなんて、いっつもヘラヘラしていてちっともがんばってる風ではありません。なのに、ブルースコードを即興でやってもらうと、理屈抜きに感動して尊敬しちゃうくらいすごいです。私と雑談しながらどんどん弾いていっちゃう。コイツを見ていると、音楽って何をどうがんばるんだかワケがわかりません。ケースケの即興の録音を福島にいる弟の娘(もうすぐ3歳)に聞かせたら、いきなり興奮して「音楽さん!音楽さん、いっぱい聞く!もっとやって!」と何度も聞いた揚句、自分もエレクトーンを弾くと言い出しました。横で、うちの息子が「芸術を知ってしまったんだんだね。」としみじみと言っていました。後で、ケースケとモトノリが「それは、絶対にエレクトーンをやらせるべきだ」と言っていました。将来、とんでもないユニットができるかもしれません。安保法案もやっぱり成立してしまいましたね。さて、これからどうするかが問題です。首相は、暗示か何かにかかっているみたいに、数を支配した途端に強気になりました。何とかしたい。でも、野党は多分、いつもとそう代わり映えはしないのかもしれません。困るよねえ、ここらで何とかしたいのに。でも、野党もヘトヘトなんだよね、多分。どうしたら良いかわからなくて、そのわからないことが辛くて疲れてしまっているように見えてしまいます。若い人たちの新しい政党出ないかい?例え札束で顔を叩かれようと、どんな良いポストを見せられようと信念を曲げないピュアな強さがある人たちの政党。ここらでいくつか出れば、その中の一つは多分生き残るんじゃないでしょうか。既存の政治感覚じゃないグループが必要になっていると思います。今までは、若い人が政治家になっても、何年か後にはこれまでの政治家と口調までそっくりになった「ただ若いだけのこれまでの政治家」になってしまっていました。そうじゃなくてさ、「未熟さ」こそ「強さ」だと開き直れる新しいパワーが必要なんですよ。「わからない」ことが辛いんじゃなくて、「そこが面白い」とばかりに突っ込んでいくような、そういうパワーが出てくれば、世の中の大抵のことに飽きた人たちも巻き込んで、応援するうねりが出るかもしれません。マスコミの方々も、その重要性を是非ともご理解いただくことにして。政治を「いわゆる政治家」がやる時代は終わったことを、今回の安保法案の件で理解した人は多いと思います。