カテゴリ:思い出
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人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。 にほんブログ村 ^-^◆ 少年の頃 浪花節(浪曲)を習いました[2] 魚売りの、浪花節おいちゃんは大変な人気だったので、 持ってきた魚が早めに売り切れます。 いつも、お寺の角にあった大きな岩の上に腰かけて、 キセルタバコを吸いながら一節二節唸っていました。 塀の中に植えてある大きな松の木で、丁度良い木陰になります。 何故、道路の曲がり角に岩があったか……? 当時、塀が続いている家の直角の角には、かなり大きな岩が おいてありました。馬車や車力やリヤカーが角を曲がるときに、 塀を傷つけないようにする施策でした。 おいちゃんの声はそれなりに大きいので近隣に聞こえます。 それが、私が浪曲をはっきり認識したきっかけです。 では、何故習うようになったのか? 私……実は、歌が若干(……というか相当)苦手でした……。 親戚が集まって宴席なんかになると、子供たちはその前で、 順番によく歌わされていたものです……。 上手な子は拍手喝さいを受けますが、 私の時には義理の拍手しか来ませんし、 自分でもうまく歌えないな――という感触でした。(^_^;) いわゆる「音痴」に近い状態だったのです。 (音痴だったかも……(^_^;)) とにかく音が外れるのですから、どうしようもありません。 ……ところが、おいちゃんの浪曲を聞いていると時々、 音が狂うように聞こえるではありませんか? 狂うというか……違和感があるのです。 大人たちは、そこに味がある……等と言っていました。 よく意味は分かりませんが、自分は歌よりも浪曲の方が 向いているんじゃないか……と、思ったようです。 恐る恐るおいちゃんに近づいていくと、 全然意識もせず、無視して飄々とおいちゃんは唸っています。 余程、浪曲が好きみたいでした。 おいちゃんが、浪曲師になる夢を諦めたいきさつなどは、 後になって大人から聞いた話なので、 その頃は、ホントに浪曲の好きなおいちゃんやな……と 思っていました。 友達も誘って、2~3人でおいちゃんに寄って行って、 口真似を始めたら、おいちゃんも渋々付き合ってくれるように なったというわけです。 私は……はまりました。 最初は有名な浪曲家のまねばかりでした。 広沢虎造(ひろさわとらぞう)相模太郎(さがみたろう) 春日井梅鶯(かすがいばいおう)鈴木米若(すずきよねわか) 三門博(みかどひろし)浪花亭綾太郎(なにわていあやたろう) 等々……。女流では伊丹秀子(いたみひでこ) 冨士月子(ふじつきこ)天津羽衣(あまつはごろも)等です。 もちろん、浪曲界の当時のスターの方たちの名前は、 おいちゃんから教えてもらって、少しづつ覚えたものです。 少年なので、高音の方が声が出やすかったように思います。 基本的に決まった節はなく、自分流で良いという所が、 一番嬉しかったことです。 <続く> 人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。 にほんブログ村 ====================================================== ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 14年間蓄積した本ブログの一部を抜粋して本にしました。 『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中巻・下巻)』です。 それぞれ200円です。(^-^) AMAZON公式サイトで「愛ことば」で検索して下さい。 良かったら、どうぞ。よろしく、お願いします。 『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中・下巻)』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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