法律の名の下
私の弟、バーニィとアル(猫)は、ライフボート友の会のご縁で、父母に引き取られた。同会は、行政により殺処分される犬・猫の命を救うべく、保健所から引き取った仔猫・成猫・仔犬・成犬の里親募集活動や犬・猫たちの終生保護施設(シェルター)の運営、全国の保健所の犬猫譲渡情報の収集と公開などを行っている。同会のWebサイトに、活動ポリシーを掲げたページがある。そこには、数枚の犬や猫の写真に、「写真の犬たちは、私たち日本国民が定めた法律の名の下、「不用犬」であるとの理由により 殺されました。」とあり、続いて、活動ポリシーが掲載されている。ここにあった一言を読んで、母は大変ショックを受けたという。その言葉を、ここに引用させていただく。「『法律により殺す』ということは、私やあなたが今現在も犬や猫を殺していることに他なりません。 法律は私たちが作ったものなのですから。」常日頃、どうぶつの為の法の不備に怒りや嘆きをぶつけていた母だが、その母自身が、巡りめぐれば、その不備だらけの法を作った一員、という訳だ。それを突きつけられた母は、ただ絶句するしかできなかった。「保健所はひどいことをする所だ」と責めることは簡単である。どうぶつの処分を担当している職員さんのもとには、動物愛護週間が来ると、動物愛護団体からの「犬猫の命を奪うことに罪悪感を覚えないのか」といった質問や抗議が寄せられるという。しかし、よく考えてみれば、担当職員さんも公務員。たまたま、この部署への配属を命じる辞令を渡されてしまった方々だ。ご自分から「ぜひ犬猫を殺したい」と望んでこの部署に来た方など、いないだろう。皆様、日々、さぞやお辛い思いをなさっているだろう。そして、地方自治体がどうぶつの処分を行っているということは、その費用は私たちの税金である。どうぶつを処分するという法律を作り、そのための人件費や諸経費を支払っているのは日本国民皆なのだ。母や父を含めて。「うちの猫は、保健所から助け出された猫を引き取りました」と言えば、どこか美談のような響きがある。しかし、こうして考えてみると、ただ単に、自分たちが作った法律どおりに自分たちが殺している、年間550,000頭もの犬猫たちの中から、ほんの一握りにも満たないいのちを連れ出して、尻拭いをしているに過ぎない。誤解しないで欲しいが、決して、保健所から犬猫を引き取ることを偽善だと言っているのではない。殺されるために生まれるいのちは、あってはならない。今まさに処分されようといういのち、助けられるのなら一頭でも多く助けたい。ただ、この問題は「保健所が悪、そこからどうぶつを助け出す人が善」といった簡単な構図ではないのだということを、ご理解いただきたい。そして、何より重要なのは、処分のために持ち込まれるどうぶつたちには、何の罪もない、ということである。たとえ「咬む」「吠える」といった問題を理由に持ち込まれた犬であっても、果たして、そうなるような飼い方をし、そうせぬような躾を怠ったのは、誰であろう?最後に、ライフボート友の会の活動ポリシーから、もう一言ここに引用したい。「私達は、不用だからといって動物の命を奪うことは人間社会の傲慢であると考えます。」