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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のキリシタン】 前述の墓石がある墓地にあった別の墓石です。左側は院号が付いているのですが、その最初の文字が「一」です。会津には「一」で始まる寺名のお寺がありますが、「一」で始まる院号はこれしか見たことがありません。また、右側の墓石には5人分の戒名が彫られていますが、上部に<〇>が彫られています。 会津の転切支丹類族に関しては、残されていた類族帳の一部がその研究書に出ていますが、こうした転切支丹類族墓石が残っているケースに関しては記されていません。ですから、会津の出版物に載っている類族帳は、一部だということが判ります。 このブログでも、かなりの数の転切支丹類族墓石をご紹介してきました。それらもすべてではありません。見落としているものもあるでしょうし、まだ訪ねたことのない村も残っています。あるいは、墓地整備が進んでいて、古い墓石がほとんど残っていないところもあります。また、会津若松市街地のお寺の墓地で、道路拡張で墓地が移転したケースもありますが、古い墓石はまとめられてしまっていたり、積み上げられたりしてしまっているケースもあります。 『会津藩家世実紀』の寛文五年五月八日のところに、「吉利支丹宗門之者、寛永二十年会津入封之節ハ、御領中ニ壱人モ無之」と記されていますが、この時にはまだ、まだ転んでいないキリシタンが牢にいたことは、『会津藩家世実紀』の他の記事から明らかです。そして、保科松平会津藩は、そうしたまだ転んでいないキリシタンを自分の村に帰してしまっています。これも、その記録が『会津藩家世実紀』に残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.03.27 22:20:11
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