伊那谷の風景
【伊那谷の風景】 この4枚の写真は伊那谷で撮った写真です。雪を被っているのは中央アルプスの岳々です。伊那谷では、ツツジがきれいに咲いていましたが、中央アルプスの高いところはまだ、雪に覆われていました。また、伊那谷は天竜川が流れているのですが、天竜川の支流沿いにも、そして辰野町から松本平南西部までもが、保科正之公が高遠藩主であられた時には、高遠藩領内でした。 この旧高遠藩領内には様々なキリシタンの痕跡が残っているのですが、国土地理院の地形図を参考にしていると、会津との共通点を多数見付けることが出来ます。それだけではありません。保科正之公と共に、武士に取り立てられた3000人の人々が、山形最上経由で会津に移住していることを確認することが出来ます。 伊那高遠をキリシタン研究の為に最初に訪ねたのは2007年8月の末でしたが、それ以降にも10数回訪ねています。そして、伊那高遠で手に入れた高遠藩に関する文献や、ネット上で手に入れた『高遠町誌』をじっくり眼を通したら、様々なことが見えてきましたし、伊那高遠と穴山家との間にかなり密接な結びつきがあることも知ることが出来ました。その後、松本平や安曇野を巡り、善光寺平や佐久平を巡って、信州一帯にキリシタンが広がっていたことを確認することが出来ました。 会津にこれほどまでにキリシタンの痕跡が残っていながら、処刑されたキリシタンを確定できない理由も見えてきましたし、戊辰戦争まで、隠れ続けていたキリシタンが会津にいたことを納得することが出来ました。会津のキリシタン史は、日本の中でも極めて珍しい歴史でした。