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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のキリシタン】 これも同じ墓地にあった表面破壊墓石です。上の写真から、気になる文字列だけを消そうとしていることが判ります。つまり、この墓石に彫られている文字ないし文字列に、消さなければならないと考えられ流文字列が彫られていたということであろうということになります。しかし、そうした墓石に彫られた文字列をすべて消そうとしたのがしたの写真の墓石であろうかと思われます。 下の写真は破壊された部分がかなり風化しているように見えますが、この墓地には南側に樹木が植えられていて、夏の間はほとんど陽が当たらない部分があります。そうしたところにある墓石はかなり風化が進んでいます。ですから、破壊されたのが古い時代のように思えたこともあるのですが、ここ数年間に出会ってきた表面破壊墓石を考えると、やはり破壊されたのは戦後のことであろうと考えられます。 会津の方々の中には、こうした墓石が破壊されたことやその理由をご存じの方がいらっしゃるだろうと思っています。『会津キリシタン研究 補遺』でご紹介した表面破壊墓石に彫られていた年号は、女性が亡くなられたのは「昭和二十五年」で、男性が亡くなられたのは「昭和四十一年」のご夫妻の墓石です。そして、あの村にある姓を墓地で確認したのですが、旧高遠藩領内にもある姓がありました。会津では比較的珍しい姓です。 小生は早生まれなので、昭和41年には高校一年生でした。ですから、小生よりも年上の方々の中には、墓石がこのように破壊された時のことを覚えていらっしゃる方々がいらっしゃるはずだと思っています。五日どこかで、蹲踞路のことをお伺いすることが出来るといいなと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.03.28 10:10:22
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