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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【諏訪・温泉寺の三十三観音石仏】 温泉寺に上がっていく道の脇にある、三十三観音石仏が祀られている祠です。11体ずつ祀られているものが3棟並んでいます。そして、下の写真はその横に建てられていた石碑です。「西國三十三番観世音」「當山願王大和尚建立」「信州高遠守屋貞治作」と3行に分けて彫られています。 この時は、東京分室から日帰りで諏訪まで出掛けてきましたが、温泉寺以外のお寺も訪ねることが出来ました。不思議なことですが、とあるお寺の庭園には、織部灯籠がありました。この織部灯籠は、ここでご紹介しています。小生は、織部灯籠は間違いなくキリシタンのものであると考えています。利休七哲=(蒲生氏郷、細川忠興(三斎)、古田重然(織部)、芝山宗綱(監物)、瀬田正忠(掃部)、高山長房(右近/南坊)、牧村利貞(兵部)の一人だったのですが、古田織部がキリシタンであったことは間違いありません。 この時は、東京分室から日帰りで諏訪を訪ねたのですが、諏訪湖周辺にもキリシタンのマリア像が残っていることは、長野カトリック教会の『信濃のキリシタン』に写真が載っています。また、諏訪には不思議なものが残っています。その中でも、「万治の石仏」には気になるものが彫られています。そして、諏訪から甲府にかけての一帯にも、キリシタンの痕跡が残っています。保科正之公が母親のお静の方と預けられた見性院が、まだ穴山梅雪が健在の時にいた一帯にも、キリシタンの痕跡が残っています。 そして、現在の富士見町一帯には、かなりの数のキリシタンの痕跡を見付けてきました。まだ訪ねていない村々にも、キリシタンの痕跡が残っているであろうと期待しています。お近くにお住まいの方で、関心のある方は、笹子トンネル以西を丹念に歩いてみて下さい。不思議な戒名が彫られた墓石などに出会うことが出来ます。「甲斐」といえば武田信玄の支配下にあったところなのですが、かなりの数のキリシタンが残っているのは事実です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.03.29 22:39:25
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