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テーマ:信濃の風景(234)
カテゴリ:キリシタン
【信濃の風景】 これも千曲川下流域にあるお寺の墓地にあった、墓石石仏ですが、このお寺は浄土真宗本願寺派のお寺です。左上の石仏には法名が彫られていません。逝去年月日だけが彫られています。右上の墓石石仏には、合掌している人物が2人彫られていますが、髪の毛が肩まで伸びています。そして、左下の墓石石仏の舟形光背右端に「文久四巳天」と彫られています。極めつけは、右下の墓石石仏です。 蓮の蕾(未開蓮)を持った「観音菩薩」像と思われる像が彫られています。基本的に、親鸞系の宗旨では、菩薩像を祀ることはありません。観音菩薩であれ地蔵菩薩であれ、親鸞系の宗旨の中心は「南無阿弥陀仏」です。但し、「南無阿弥陀仏」と唱えると阿弥陀如来がお迎えに来て下さるのではなく、人が亡くなると、無条件に、一方的に、阿弥陀如来が迎えに来て下さるのです。「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」という歎異抄の一節はそれを表しているのであろうと思われます。 ですから、観音菩薩の慈悲にすがるという教理はありません。また、「南無阿弥陀仏」と唱えるのは、阿弥陀如来が迎えに来て下さることを願って唱えるのではなく、阿弥陀如来が迎えに来て下さることを再確認するために唱えています。ある真宗大谷派のご住職が、ある方のご葬儀でそうした内容のお説教をされていました。ご葬儀で「南無阿弥陀仏」と唱えるのも同じ意味であるとのことでした。 これらの石仏に彫られている像は、どう考えても阿弥陀如来には見えません。会津にも、こうした「双体仏」や「三体仏」が彫られている石仏が墓地に残っている村があります。その村の名前は漢字2文字なのですが、訓読みではなく音読みにすると、祭壇を表すラテン語になります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.02 09:39:52
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