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テーマ:甲斐の風景(15)
カテゴリ:キリシタン
【甲斐の風景】 2011年11月16日に、東京分室から日帰りで甲斐のあるお寺を訪ねた帰り道、村の入り口付近の道路脇に建てられていた「庚申塔」碑です。上から、「万延元年」(1860)、「大正九年」(1820)、「昭和五十五年」(1980)と彫られています。また、「庚申塔」と彫られた四角柱の石塔があって、側面には「寛政十二年」と彫られています。1800年です。庚申の年に「庚申」碑を建てる習慣は、旧高遠藩領内だけでなく、甲斐にも残っていました。 この辺りは、八ヶ岳の南東面がよく見えるところです。これから、新緑の頃にドライブすると素晴らしい風景に出会います。また、甲斐のいくつかの地域には、不思議なモノが残っています。次回は、非常に理解に苦しむモノをご紹介します。会津では同じものを見たことがありません。 「武田信玄の『信玄』は戒名だった。だから、甲斐にキリシタンがいたはずがない」と言われたことがありますが、甲斐にも十字墓や転切支丹あるいは転切支丹類族に付けられた戒名が彫られた墓石が残っているのも事実です。熱心なキリシタンだった蒲生氏郷の家臣団にも、キリシタンではない人物がいたことは、『新編会津風土記』に記されている伝承がそれを伝えています。 今年は、少し甲斐南部を歩いてみたいと思っています。国土地理院の地形図を見ていたら気になる村がいくつもありました。伊那谷でも同じことを考えさせられて、訪ねてみたら途轍もない墓石に出会ったことがあります。関心のある方は、ネット上にある葬儀社関連のサイトに全国のお寺が宗旨別に網羅されているサイトがありますから、それを参照してみて下さい。非常にいい資料になります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.02 12:31:30
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