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テーマ:信濃の風景(234)
カテゴリ:キリシタン
【信濃の風景】 これは伊那谷でも旧高遠藩領内ではない村にあるお堂の境内にあった石碑と地蔵菩薩像です。石碑には「南無阿弥陀仏」と「南無観世音菩薩」が並べて彫られています。また地蔵菩薩像は一度首が落とされていますが、胸のところに乳房が彫られています。観音菩薩だけでなく地蔵菩薩も、そして菩薩はすべて、姓を超克した存在ですから男でも女でもありません。東大寺の大仏を建立した行基という僧を「行基菩薩」と呼んでいたことがありますが、行基がそれだけ素晴らしいことを成し遂げたということであって、行基は菩薩ではありません。 この石碑や石像があるお堂のことを調べてみたのですが、宗旨がはっきりしません。当該市町村の教育委員会が建てた説明板には、「薬師如来・毘沙門天・観世音菩薩の四体の仏像が安置されています」と記されているのですが、内部はまったく見えないようになっています。説明板には「〇〇寺は昼間に扉を開けると災害が起こるという信仰があり、天保十年に老中水野忠邦がこのお堂を浜松へ持っていこうとしましたが、村民に反対され断念したという歴史があります「'戸記されていました。 ただ、ネット上にあった内部の写真には、観音菩薩らしき像が2体と他に2体の像が写っていました。不思議なお堂です。中に祀られている仏像の台座に「平治二年」(1160)という墨書きがあるので、平安末期の建物であるとされていたのですが、昭和28年に行われた解体修理で、「鎌倉以前までは溯らないことがわかりました」とも説明板に記されていました。 仏像の製作年代と、お寺の開基年代は一致しないことの方が多いようです。応仁の乱で焼けた仏像が、地方にかなり流れたとされています。お堂の境内に残っているものの中には、他にも気になるものが多数ありますので、日曜日と月曜日に伊那谷へ行くことになっているのですが、このお堂を最初に訪ねてみようと思っています。そしてこの村にも、皇族との関連伝承が残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.04 17:47:03
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