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カテゴリ:キリシタン
【会津の風景】 前述の守屋神社の鳥居をくぐるとすぐにこの堰があります。水は奥から手前に流れているの奇妙に思えました。右上に写っている田圃の水は手前から奥に向かって流れています。つまり、この堰は地形に逆らって、右側の田圃が広がっているところよりもかなり高いところに水が流れていることになります。 会津にはいくつも農業用の堰があるのですが、こうした堰はここでしか見たことがありません。そして、堰の構造からすると夫れほど新しいものとは思えません。ただし、堰にU字溝が使われるようになったのは最近のことであろうと思われます。こうした堰の中で、いつ頃その堰が作られたかに関して、年号が『新編会津風土記』に記されているものはそれほど多くはありませんが、『新編会津風土記』に記されていることからすると、村の成立年代がかなり正確に判ることもあります。 また、この部分は横に水が分水されているすぐしたのところは、小さな滝のようになっていたかもしれません。その名残が現在も残っているのであろうと思われますが、水路がカーブしきったところで水を落とすことによって、カーブの外側の部分にかかる力を落としているのかもしれないと思っています。会津のとある堰には、同じような部分で同じような構造になっている所があります。 世界史の中で、上水道を堰によって確保した巨大な国家がありました。あの国は道路を整備することによって発展しています。保科松平家が会津藩主になって以来、こうした堰が様々なところに開削されています。それらの中には、上水道兼農業用水の堰であったところが少なくありません。まだU字溝が使われる前の堰をご存じの方とお話ししたことがあるのですが、上水道として使っても、特別問題はなかったとおっしゃっていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.07 09:47:50
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