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テーマ:信濃の風景(234)
カテゴリ:キリシタン
【信濃の風景】 伊那市高遠町の中心部から北に向かう国道がありますが、藤沢川という川が形成した、谷と言うには比較的幅の広い地域があります。この国道を上がっていくと杖突峠という峠があるのですが、峠の向こう側は諏訪湖の南東部です。キリシタンの研究のために最初に伊那谷を訪ねた時、ある方が高遠の歴史は杖突峠にあるように思えるとおっしゃっていたのを憶えています。 何しろ初めて高遠を訪ねたのですから、その具体的なことはまったく判りませんでした。しかし、この国道152号線を何回も走ってみて、村々を訪ねてきたら、あの方がおっしゃっていたことが見えてきました。そして、高遠町中心部から諏訪湖南東部までだけでなく、国道152号線を三峰川沿いに南下するルートには、高遠と会津を結びつけるはっきりとしたモノやコトが残っていることにも気が付かされました。 『会津藩家世実紀』の中に記録が残っている不思議なコトを、この152号線を何回も何回も走っておかげで、そこに隠れていたキリシタンが見えてきました。それだけではありません。京極高知が飯田の領主になった時には既に、高遠にキリシタンが広まっていたこと可能性が非常に高いと考えられるようになっています。そうしたことを明確にしてくれたのも、『会津藩家世実紀』に残っている記録と、高遠で出会ったコトでした。 そして何よりも、現在の会津に保科姓のお宅が一軒もないことの理由を、会津のキリシタンの研究を始めて間もないことに教えて下さった方がいらっしゃったのですが、あの理由も『会津藩家世実紀』に残されている記録からすると間違いないと考えられます。そして、会津から保科姓の家々が消えた理由は、今でも会津で静かに潜っているだろうと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.08 07:23:31
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