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テーマ:信濃の風景(234)
カテゴリ:キリシタン
【信濃の風景】 上の写真は杖突峠付近から茅野市方向を撮った写真です。2009年10月22日でした。下の写真は2011年1月27日に諏訪湖で撮った写真です。前面氷結している諏訪湖の写真を撮りたかったのですが、最近は前面氷結することは少なくなってしまったそうです。しかし、地球が温暖化しているからではなく、琵琶湖の周囲に工場や商業地域や住宅地が広がり、それほど冷たくない水が流れ込むからだと聞いたことがあります。 高遠は、この諏訪湖周辺にいた諏訪氏とも、茅野市から甲府盆地までにいた武田氏とも関係がありました。保科正之公の重臣の中には、武田氏の家臣の子孫と考えられる家があります。そして何よりも、保科正之公と生母お静の方を預かった見性院は、穴山梅雪の妻だった女性です。こうした武田氏の家臣だった家々で、武田家が滅亡したあとに保科家の家臣になった家々の墓地には、はっきりとしたキリシタンの痕跡が残っています。 また、どう考えても佐久平から上田平に勢力を持っていた滋野氏の重臣の姓と同じ姓の人物が『会津藩家世実紀』に出てきます。もしかすると保科正光が真田昌幸の娘を娶った時に、真田家の家臣が伊那へ同行したのかもしれないと思っています。この滋野氏の勢力範囲にもキリシタンの痕跡が残っていて、ここでご紹介したことがあります。また、滋野氏の重臣だった家の姓と同じ名前の村が残っていますが、あそこにも中国製と思われる「子安観音」像が残っていたようです。 『会津藩家世実紀』には、お静の方の実家の姓と同じ姓の人物の名前が出てくるところがありますし、そこにはお静の方の実家が寄宿していた家の姓と同じ人物の名前も同じところに出てきます。ここで引用したことがあるので、お気付きになられた方がいらっしゃるかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.08 12:10:29
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