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テーマ:会津の風景(427)
カテゴリ:キリシタン
【会津の風景】 この墓石の近くに建てられている説明板には、以下のように記されています。 この田中正玄の祖父は、武田信玄の家臣でした。その子は武田家が滅亡したあと、徳川家康に仕え、佐渡金山奉行であった時に正玄が生まれているようです。あの時代には、様々なヘッドハンティングが行われていたようで、長久手の戦いで秀吉軍の殿(しんがり)を勤めた蒲生軍団からも、後に家康は巧妙な手だてで蒲生軍団の猛将を引き入れています。以前に『葵三代』という大河ドラマがありましたが、その人物が一度だけ出てきたことがあります。 この田中正玄に非常に関心を寄せている方がいらっしゃいますが、お時間があったら、この田中正玄の墓地から保科正之公の墳墓まで歩いていってみて下さい。保科正之公の墳墓と磐梯神社の標高差を実感できるかと思います。この田中正玄の墓地は磐梯神社よりも低いところにあります。しかし、保科正之公の墳墓は磐梯神社よりもかなり高いところにあります。 保科正之公が「磐梯神社をお守りする」とおっしゃったので、会津藩の重臣はあそこに墳墓を築いたのですが、お守りする側が、守られる側よりも高いところにあるというのが不思議でなりません。江戸時代に建てられた武家の屋敷は、奥へ行けば行くほど高く造られていました。襖を開けるとそこに段差があります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.09 09:41:03
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