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テーマ:会津の風景(427)
カテゴリ:キリシタン
【会津の風景】 この2枚の写真は、前述までの亀ヶ城からそう離れていないところで撮りました。ただ、この場所は、ある方に案内していただいたので、どこをどう行ったらいいのか思い出せません。前後に撮った写真のファイルナンバーから、ここがどの辺りかは見当が付いています。 上の写真は青面金剛が彫られた石仏ですが、下の写真は「庚申供」までが読みとれる石碑です。しかし、その右側には「寛政十二年」と彫られているのが判ります。寛政十二年は1800年で、庚申の年です。 実は、この場所も土津神社からそれほど離れたところではありません。また、亀ヶ城からもそれほど離れていません。そして、この周辺の町や村に残っているものを考えると、保科正之公と共に山形最上経由で会津に入って来た家々があるように思えます。そして、そうしたお宅には、もしかしたら移住伝承が残っているかもしれないと思っています。 会津には、こうした庚申の年に建てられた「庚申」碑は多くはありませんが、残っていることは間違いありません。保科正之公のご葬儀が終わったあと、かなりの数の人々が猪苗代に集まり、宿泊するところが足りずに、野宿していた人々がいたことが『会津藩家世実紀』に記されています。それで、会津藩はそうした人々に食糧を無償配布しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.09 16:00:51
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