|
テーマ:会津の風景(427)
カテゴリ:キリシタン
【会津の風景】 これは2007年4月19日に、鶴ヶ城の二之丸の土手から撮った写真です。磐梯山の頂上は雲に隠れてしまっていました。晴れていれば、鶴ヶ城の本丸最上階からは、磐梯山だけでなく、飯豊連峰や博士山や明神ヶ岳など、会津盆地の周囲に連なる山々がすべて見えます。 小生は桜の時期に天守閣に上がったことはないのですが、上から見る鶴ヶ城の桜もかなり綺麗だろうと思います。4月の末に大仕事があるので、今年は難しそうなのですが、それでも何とか時間を作って、天守閣の最上階からお城の桜を見てみたいと思っています。 保科正之公は振り袖火事の時に焼け落ちた江戸城の再建案がだされた時に、天守閣そのものの存在意味を見いだせないとして反対しています。そして、その資金で江戸市中の道路を整備するために用いるようにしました。今で言えば、インフラ整備です。そして、玉川上水の開削を提案したとされています。 そうした保科正之公が、猪苗代の見弥山からみた風景が綺麗だからという理由で、御自身の埋葬場所をあそこに決定したとは到底考えられません。どちらの政策も、非常に近代合理主義的発想ですし、科学的な工法を用いなければ玉川上水を開削することは不可能であったであろうと思われます。ですから、保科正之公はそうした知識と技術を保っている人々がいることをご存じだったのではないかと思えて仕方がありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.09 21:38:40
コメント(0) | コメントを書く |