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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の風景】 この「子安観音」像は以前にもここでご紹介したことがありますが、この像は、会津のとある村の「子安観世音」堂に祀られています。この村はかなり以前から気になっていた村でした。それで、2011年12月7日に出かけたのですが、写真をあまりうまく撮れなかったので、13日にもう一度出かけました。 この「子安観音」像が「子安観世音」堂に祭られている村は、『新編会津風土記』(1809)と『寛文風土記』(1666)には載っているのですが、『文禄三年蒲生家高目録』(1594)には載っていません。ということは、文禄三年から、保科正之公の命によって寺社改めが行われた寛文四年(1664)までの間に成立した村であろうと考えられます。 この「子安観音」像が右手に持っている蓮の蕾の茎は、非常に奇妙な形に彫られています。両肩から垂れ下がっている細長い布状のものも気になります。これと同じような布状のものが赤く塗られている「観音菩薩」像が中通りの神社にありますが、あれを見たときにも驚きました。小生のところには、同じような形状の白と赤と緑と紫と黒があります。 会津の村々では、何故こうしたものが残されてきたのでしょうか。何回も記してきましたが、菩薩は男でも女でもありません。性を超克した存在ですから、乳房もありませんが、この抱かれている乳児は乳房に手を当てています。「子安観音」像が中国から入ってきて、それが日本のキリシタンに広がっていく過程で、こうした乳房が彫られるようになったのかもしれません。江戸時代に一般民衆の中で描かれた絵の中には、上半身が裸の女性が描かれているものがありますが、会津でもそうした絵が残っているところがあります。こうしたことを小生は、キリスト教の土着の一形態であろうと考えています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.14 13:21:50
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