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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の風景】 前々述の八重桜が墓地に植えられている村の中にお堂が建てられているのですが、そこに祀られていた「子安観音」石仏と「地蔵菩薩」石仏です。どちらも天保九年に奉納されているのですが、「子安観音」石仏には「七月十七日」、「地蔵菩薩」石仏には「正月廿四日」と彫られています。 1838年の春に「地蔵菩薩」石仏が彫られ、同じ年の初秋に「子安観音」石仏が彫られていることになります。そして、小生には、この2体の石仏は同じ石工が彫ったように見えますし、おそらく守屋貞治の流れを汲んでいる高遠石工が彫ったように見えます。 ただ、非常に気になることは、どちらも一部が赤く塗られていることです。キリスト教にとって、赤という色は殉教者の色です。異教徒によって殺された殉教者もいますが、キリスト教の教派間で戦いが行われたこともありました。あるいは、現在であればまったく問題にならないことなのですが、ラテン語の聖書を自国語に翻訳して処刑された聖職者もいました。逆に、プロテスタント教会がローマ・カトリック教会を攻撃したこともありました。 キリシタンの時代にキリシタンの信仰を保持し続けていた人々の中に、日本の殉教者に対する尊敬の念があったことは間違いないと小生は考えています。しかも、会津での殉教はすべて、幕府に対する忠誠を示すために行われたことのように思えます。おそらく、この2体の石仏の中に、そうした殉教者への想いが込められているのであろうと思われますが、ここに捧げられている硬貨はそれほど古いものではありませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.17 08:32:11
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