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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の風景】 前述の2体の石仏がま吊られているお堂の須弥壇を撮った写真ですが、右端の厨子には「奪衣婆」石像が祀られていました。この「奪衣婆」石像も一部が着色されていますが、こうした着色された「奪衣婆」石像はここからそれほど離れていない村に建てられているお寺の境内にも残っています。その「奪衣婆」石像には奉納者の住所と名前が彫られているのですが、その住所は会津藩領内です。 宗門人別制度下では、同じ宗旨であっても、自分の檀那寺以外のお寺と関係を持つことは禁じられていました。しかし、実際にそれが守られていたかどうかは、残されたモノを考えるとかなり疑問があります。つまり、規則上は禁止されていても、実際には行われていたということですが、こうしたことも日本の中で「同じ仏教だから」という誤解が生まれた要因の一つなのかもしれません。 あるいは、最澄や空海の大師号は中学の歴史の授業で憶えさせられるのですが、他の大師号を受けている僧侶に関しては教科書にも載っていないので、まったくと言っていいほど知られていません。関心のある方は、ネット上に載っていますから、是非検索してみて下さい。師号には大師号以外に「禅師」「国師」があります。 こうした情況を目の当たりにすると、宗門人別制度という幕府が作り出した制度が、仏教を擁護するためのものではなく、仏教の解体と再編であることに気が付かされます。同じようなことは、世界の宗教の中で行われています。先進国の中にも、王制と結び付いている宗教がある国が残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.17 09:32:31
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