|
テーマ:歴史研究(36)
カテゴリ:キリシタン
【会津のサイノカミ】 これは去年の1月15日に、ある一帯のサイノカミを見に出掛けた時に撮った写真です。同じ一帯にありながら、それぞれの村によって形が異なっています。そして、右下の村のサイノカミは、点火するところから最後まで、見てきました。 『会津藩家世実紀』の延宝三年(1680)に「左儀長焼候儀可為停止旨被仰出」という記録が残っていますが、このサイノカミを禁止しています。しかし、『会津藩家世実紀』に残されている記録には、その禁止理由が記されていません。確かに、サイノカミの火が民家やお寺に燃え移ったという伝承が残っている村が会津にありますが、しかし、そうした理由であれば、記録に残されていても不思議ではありません。 こうした、一般民衆の、文化人類学や民俗学あるいは宗教史の対象になるようなコトを無視して、残されている文字資料=史料からだけでは歴史は見えてきません。様々な研究方法を取り入れて史料を解析することは、ヨーロッパではもう100年以上前から行われてきました。そいれが、小生がこれまで述べてきた「科学的な研究」ということです。ですから、このサイノカミが禁止された理由も、様々な視点から検証しなければなりません。 小生たちは、学生時代に聖書をそうした多角的な視点から研究する方法を徹底的に教育されてきました。一時期、自分の専門をその分野にしようかと思ったことがありましたが、入学する前から関心があった社会倫理の分野を選択しました。しかし、この社会倫理の分野でも、文字で書かれた資料=史料だけから、歴史を考えるようなことはしません。小生の修士論文には、アメリカの詩人の詩さえ引用されていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.01.28 08:35:08
コメント(0) | コメントを書く |