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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のとある村の「子安観音」堂】 2009年にある方がこの「子安観音」堂をグーグルマップで見付けて、それを教えて下さったのでさっそく出掛けました。しかし、村の中の道を走っただけでは、入口を見付けることが出来ないので、村の方に教えて頂きました。このお堂は最近になって建て直されたようです。そして中に入ると、手前の「オビンズルサマ」と思える像がありました。しかし、「子安観音」像ではありません。 ただ、後ろの幕の奥が少し奥行きがありそうなので、幕をずらして奥を見たら、下の写真の「子安観音」像が祀られていました。そして、他の「子安観音」像に見られる岩のような台座の上に祀られていました。これだけで十分キリシタンだと小生は考えています。ギリシア語で岩を「ペトロス」といいます。そして、聖書の中に有名なこの「ペトロス」が使われている個所があります。 キリシタンはローマ・カトリック教会ですから、それを考えたら疑いようがありません。このことは『どちりなきりしたん』にも記されています。そして大事なことですが、それが神学的に正当性があるかどうかは、キリシタンの研究では小生は一切問いません。キリシタンの殉教を考える時に、「ローマ・カトリックだから」ということで判断したとしたら、既にそこで歴史研究は停止してしまっています。 歴史研究は常に、客観性が求められます。ですから、史料を精査する時には、それが誰によって書かれたかを、いつ書かれたかを常に考えなければなりません。そうすることによって、客観性を高めていかないと真実の歴史を見失ってしまいます。これは、『会津藩家世実紀』を読む時にさえ求められていると小生はいつも自戒しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.01.29 08:43:13
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