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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のとある村の「子安観音」堂】 前述の観音堂がある村からそれほど離れていない村に、かつてはお寺があったのですが、現在は本堂も庫裡も取り壊されていて、本堂に祀られていた仏像だけが祀られている建物が残っているところがあります。そのお寺の境内と思われるところにお堂があって、この「子安観音」像が祀られていました。このお寺は、曹洞宗のお寺です。 このお堂を最初に訪ねたのは、2009年でしたが、その時に村の方がここを案内して下さいました。そして、それほど大きなお堂ではないのですが、以前はこのお堂でお籠もりをしていたそうです。また、この村には、村の中に薬師堂が建てられていて、薬師如来像が祀られています。不思議なことなのですが、この村の名前は『文禄三年蒲生家高目録』に出てきています。 蒲生氏郷が会津の領主だったときには既に成立していた村で、かなりの石高があった村です。そして、『会津鑑』(1789)にある石高は『文禄三年蒲生家高目録』の石高よりも増えています。ですから、この間に家数が増えていると考えられます。江戸時代には石高の増加はほとんどありません。唐箕やセンバコキが伝わっても、一軒当たりの耕作か能面積は増えませんでした。唐箕やセンバコキは稲刈りをした後に使う道具です。 あの唐箕は非常に面白い機械でした。稲刈りの頃には学校が休みではなかったので亡母の実家に行ったことはありませんが、夏休みに行くと、豆と殻を分けるのに使っているのを手伝いました。といっても、風を送るために回すところをぐるぐる回しただけです。背が低くて、高いところには手が届きませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.01.29 10:36:13
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