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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津藩領内の角九曜紋】 前述の鹿瀬組日出谷一帯の村の墓地にあった、角九曜紋です。保科家の家紋です。ただし、保科姓の家が姓を変えた時に、家紋も変えているようで、このおお宅は保科姓ではありませんが、この墓域には院殿号が彫られた墓石が建てられていました。 こうした家紋が残っていると、保科民部正興の墓があるところに建てられている説明板に記されていますが、こうして実際にそれを確認することも出来ました。会津のキリシタン史は、入口は非常に狭いのですが、一旦中へはいると非常に広くて奥行きがあります。それが見えてくると、史料に残されている不思議なコトやモノがはっきりと見えてきます。 東京の山手線の内側に、はっきりとした転切支丹類族の墓が残っていたり、織部灯籠が残っているのですから、会津に抗したモノが残っていることは、当然であろうと最近は考えるようになりました。関心のある方は、ウィキペディアの「保科氏」の項をお読み下さい。系図も載っています。そして、保科正之公の養父・保科正光の妻は真田幸村の姉妹です。 真田家にもキリシタンがいたことは、上田平一帯に残っているキリシタンの痕跡から明かですし、その末裔の家屋敷は何回も訪ねたことがあります。農家にもかかわらず、周囲が土塀で囲まれていました。そして、一番奥の部屋は書院造りになっています。そして、その家がどういう家であるか村人は皆さんご存じですし、家紋は間違いなく六文銭です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.01.31 17:21:34
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