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テーマ:日本の未来(224)
カテゴリ:東日本大震災
【大洪水の後の阿賀野川沿いで】 前述までの新潟県東蒲原郡阿賀町を訪ねた時に撮った写真です。2011年7月末に、奥会津で大雨が降り、只見川が大洪水を起こし、その為に阿賀川(福島県側)が氾濫し、こうして阿賀野川(新潟県側)も氾濫しました。この災害の爪痕は今も残っています。 2011年3月に東日本大震災が起こった時、政府は東北縦貫道を通行止めにしました。理由は、災害援助物資を送るためだということでしたが、高速道路のライブカメラサイトを見る限りでは、トラックはほとんど写っていませんでした。それだけではありません。あるパーキングの静止画像には、一般車両が写っていました。そして政府は、浜通りの人々に屋内退避を勧告しました。そして、エアコンを使わないことが求められました。 文科省は建物内部の遮蔽率を40%としていますが、あのデータが信じられないので悩んでいたら、最近になってある新聞がそれをすっぱ抜きました。何故、遮蔽率が40%なのかということですが、あまりに一般人を馬鹿にし過ぎています。建物の遮蔽率を算出するのであれば、建物の同じところで外側と内側を測定しなければなりませんが、外側のデータは建物からかなり離れた地点のデータだったと、その新聞のサイトにありました。 原発が異常な爆発を起こしたことは、多くの方がご存じだろうと思います。浜通りには、すべてがセシウムだとして計算しても、外部被曝だけで年間1mSvになるまでに200年以上掛かるところがあります。当然、そうしたところに人がいていいわけがありません。にもかかわらず、緊急避難用の高速道路を通行止めにして、屋内退避を求めたのです。また、浜通りと中通りを結ぶ道路には、センターラインがない道もありました。二階に上がった人が掛けた梯子を外したとしか思えません。余談ですが、東京の環境放射線量ですが、会津の低いところの2倍以上のところがあります。これは、小生が計ったのではなく、東京都のHPと原子力規制委員会のサイトを見比べてのことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.01 08:10:27
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