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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【旧高遠藩領内の白山神社】 これは、去年の7月2日に撮った写真です。旧高遠藩領内のとあるところに白山神社があることを知って、訪ねてみました。上の石碑は神社の拝殿から参道の階段ではなく、斜面に斜めに付けられた傾斜の緩い路を下る途中にありました。「秋葉神社」「金刀比羅神社」と彫られています。 そしてその路を下ってきたら、下の写真に写っている建物の前に出ました。所長はすぐには気が付きませんでしたが、小生はこの建物を見て呆然としました。この建物と同じ目的で建てられた建物が、会津には二つ、今でも残っています。そして、ある本に、その片方の建物の内部がどのようになっているかを示す図があります。最近、その本を手に入れたのですが、その図を見て、この建物の意味がはっきりと判りました。おそらく、この写真の板で塞がれている奥も、同じような造りになっているのであろうと思われます。 会津に残っているその建物を訪ねた時は夏だったので、周囲の板戸の多くが外されていて、内部の写真若松撮ってくることが出来ました。今もそれを見ていましたが、間違いなく、非常に特徴的な構造になっています。かつては、会津若松市街地にも同じ形式の建物がありました。そこへは、何回も入ったことがあります。 キリスト教の礼拝堂は、初期の時代には古い形式がそのまま残されました。こうしたことに関する日本語の文献は非常に少ないのですが、聖餐論や礼拝学に関する論文を書くために手に入れたものが、会津キリシタン研究所にあります。お寺の本堂の形式にもそれぞれの宗旨で意味を持っていて、宗旨によって大きく異なっているのですが、キリスト教でも、教派によって大きく異なっていますが、突き詰めて考えていくと、その教派が成立した時代の情況の影響を受けています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.01 10:32:25
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