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2014.02.02
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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン

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【絵島の伊那高遠遠流】

 写真は絵島が当初幽閉された場所です。そして以下は、伊那市立高遠町歴史博物館にある絵島囲い込み屋敷に建てられていた説明板に書かれている文です。

「〔文書〕      正徳四年三月十二日
 絵島こと、永く遠流たる筈に候あいだ、在所高遠に遣わし、番人付け差し置かるべく候、以上
 一、かろき下女一人付け置き申すべく候
 一、食べ物一汁一菜に仕り、朝夕両度のほか無用に候、附湯茶は格別、そのほか酒、菓子、何にても給させ申す間敷く候
 一、衣類木綿着物、布帷子のほか堅く無用に候

[口頭での申し渡し] 正徳四年三月十二日
一、絵島はお預けではないからそう心得て、遠流の格をもって諸事取り計らいもうすよう、つまり、高遠へ遠流と心得られよ。
一、申すまでもないことではあるが、男女間の関係は、随分気をつけられよ。
一、絵島の請取りについては、委細を坪内能登守と打合わせ、牢屋で請取られたい。

[伺に対する回答・一] 正徳四年三月十三日
一、絵島こと、屋敷への風並悪しく、火事の節は、私の下屋敷へ退けてよろしいか。
 〇 下屋敷へ退けてよろしい。
一、たばこをほしいと申したら、出してもよろしいか。
 〇 出さなくてよい・
一、硯や紙をほしいと申したら、渡してもよろしいか。
 〇 渡さなくてよい。
一、扇子・団扇・楊子・などをほしいと言われたら、出してよろしいか。
 〇 与えてもよろしい。
一、 髪を結う時、櫛道具・はさみは、渡してもよろしいか。
 〇 それは差し支えない。
一、毛抜きをほしいというときは、出してもよろしいか。
 〇 よろしい。
一、鉄漿(かね・歯を染めるもの)を付けたいと申すときは、道具を出してよろしいか。
 〇 出さなくてよろしい。
一、病気のときは、手医師、薬をもちいてよろしいか。
 〇 その通りにされたい。
一、絵島へ、私(藩主)が時々逢って様子を見なくてはなりませんか。
 〇 そのようなことはしなくてもよい。

[伺に対する回答・二] 正徳四年三月二十四日
一、絵島こと、在所の番人は、給人一人、徒士格の者一人ずつちゅうや付けておくべきか。もっとも夜は不寝番をつけておくものとする。
 〇 給人でなくてもよろしい。中小姓または徒士格の者いずれにても両人を付けておき、足軽中間も相応に指図されたい。不寝番はしなくてよい。
一、冬になると、信州は寒くなるが、その節は、火鉢を渡してもよいか。
 〇 火鉢を用いてもよい。給付物、たばこなどは、出さなくてよい。
一、絵島の住むところができるまでは、三の丸に長屋を用意してあるので、それを使いたいがよろしいか。
 〇 思うままにしてよろしい。」

 この先頭のところで、「絵島こと、永く遠流たる筈に候あいだ」となっていますが、文の流れからすると、「絵島こと、永く遠流たる筈に候間」でこの「候間」は「そうらはば」であろうかと思われます。ですから、幕府は終身遠流を考えていたように思えます。また[伺に対する回答・一]の中で「髪を結う時、櫛道具・はさみは、渡してもよろしいか。」という質問に対して、「〇 それは差し支えない」と回答しています。通常は、自害を避けるために、刃物を渡すことはないのではないでしょうか。

 そして何よりも、「絵島へ、私(藩主)が時々逢って様子を見なくてはなりませんか。」という質問に対しては、「〇 そのようなことはしなくてもよい。」という部分です。藩主が罪人に会うということは、尋常のことではありません。にもかかわらず、高遠藩は幕府にこうした質問をしています。

 この絵島の戒名「信敬院妙立日如大姉」の下に、「霊」の速記文字が彫られていました。これも気になります。この案内板には「山国高遠で二十八年の幽閉生活に耐え、日蓮宗に帰依し、ひたすら御仏の懐に抱かれるような信仰の毎日であったが、寛保元年(一七四一)、病のため波乱に富んだ六十一年の生涯を閉じた。」と記されていますが、絵島の墓が蓮華寺にあることは事実ですが、絵島が高遠で日蓮宗を選んだとは考えられません。少なくとも、彼女は幽閉されている身分でした。






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Last updated  2014.02.03 12:50:48
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