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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【高遠城趾 I 】 2007年8月27日、会津のキリシタンの研究のために初めて伊那高遠を訪ねました。伊那インターを下りたところから、南アルプス最南部の山が見えた時には、非常に懐かしく思いました。1970年の夏の終わりに、友人に誘われて南アルプス北部を縦走していました。そして、最終日には戸台まで下って、伊那北駅から東京へ帰ったように記憶しています。 あの頃は大学2年生で、まさかキリシタンの研究をするとは思っていませんでしたし、伊那高遠が伊那谷のキリシタンの拠点だったということも知りませんでした。戸台から伊那北駅までの風景はまったく記憶にありません。バスの中で爆睡していたのだろうと想います。 この写真に写っている勘助曲輪に車を止めて、まず本丸にいってから、二之丸や三の丸などを歩いてきました。地形を利用した典型的な山城です。堀はすべて空堀です。そして、堀に面した土手には石垣はほとんどありませんし、一部に石垣がありますが、それらの石垣は近年になって積まれたものであろうと思われます。 ただ、歩き回っているうちに、不思議な場所を見付けました。何か建物があったのではないかと思える場所ですが、案内板はありませんでした。この頃には既に、保科正光がキリシタンであったと考え始めていましたから、本丸の中にある建物があっても不思議ではないと考えていました。そうした建物は、キリシタン大名の城には必ず建てられていた筈です。城主がキリシタンであれば当然、本丸の中に建てられる建物です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.04 07:59:20
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