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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【高遠城趾 II 】 二之丸から本丸に入る部分を撮った写真です。この門は高遠町本町にあった「問屋門」を昭和23年にここへ移設したものだと案内板に記されていました。ここから本丸に入って、ゆっくり歩き回ると、ここでもご紹介したものに出会えると想いますが、コヒガンザクラが満開の時には、大勢のひとが歩いているようなので、じっくり歩くことは出来ないだろうと思います。 小生は本丸のコヒガンザクラが満開の時に、伊那高遠を訪ねたことはありません。ですから、伊那高遠へ出掛けたときには、一度は高遠城趾を歩くことにしています。特に、落葉樹の葉がすっかり落ちている頃が、三峰川流域を枯れ枝の間から見渡すことが出来ますし、宿泊施設も満杯になっておらず、昼間の道路は空いています。その代わり「花より団子」で、必ず決まったお店で高遠蕎麦を食べてくることにしています。 飯田城主だった京極高知が高遠で洗礼を受けているだけあって、旧高遠藩領内や下伊那郡にはキリシタンの痕跡が多数残っていますし、土豪の館跡に建てられたのであろうと思われるお寺も下伊那郡には残っています。お寺なのですが、堀が残っています。こうしたところは、国土地理院のサイトにある地形図をじっくり見ていると気が付くことがありますが、あのお寺は訪ねてみてはじめて気が付きました。 また、松本平の旧高遠藩領内にも不思議なものが残っていますし、密教のお寺が2ヶ寺残っています。そして、あの一帯には、松本平の武田氏の末裔の村があります。地元の方にお伺いになれば、それがどの村かはご存じであろうと思います。あの一帯では、有名なことのようです。そして、あの村からも山形最上経由で会津に移住した家があったと、地元の方からお伺いしました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.04 08:33:38
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