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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【高遠城趾 IV 】 上の写真は、高遠城趾の本丸から小原(おばら)村方向を撮った写真です。「小原」は姓は「おはら」ですが、村の名前は「おばら」です。交差点の名称に"Obara"と書かれていました。そして、この小原村には小原姓の家が多いと聞いています。勿論、歌で有名な小原庄助さんはこの村から出た人で、保科家の重臣の一人でした。 会津にはこうした、村名と姓が同じ村はありませんが、信州では時々見かけます。伊那谷の他のところにもこうしたケースがありますが、その姓は会津の一部に残っています。それが気になって、その村へも出掛けたのですが、村にあるお寺で実に不思議なモノに出会いました。あの村も旧高遠藩領内でした。 下の写真は、高遠城趾の本丸だろうと思いますが、この写真の前に撮っている写真からすると、白兎橋(はくときょう)を渡ってすぐのところだろうと思います。だとすれば、二之丸であろうと思われます。こうした桜の木々の間に、不思議な石造物が残っています。 体調が少し優れないのと、明日の天候を考えて、会津へ帰るのを明後日にしました。今月末にもう一度上京する予定なので、その時に運んでくる本を置くところを作っておこうかと思っています。あの全集は既に箱詰めしてあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.04 11:25:03
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