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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【伊那高遠の十字灯籠】 2010年5月22日に、前述のお寺を再訪した時には、境内にある様々なものを見てきました。この石灯籠などは非常に驚かされました。ご覧のとおり、火袋の部分にΧ十字が浮かび上がります。暗くなってからこの火袋でロウソクを灯したら、もっとはっきりと判るであろうと思われます。 「まさか、善光寺がある信州にキリシタンがいたなどとは考えられない」と思われる方も多いだろうと思います。「牛に引かれて善光寺詣り」という言葉がありますが、あれは上田平から佐久平の千曲川沿いのことです。牛が上田平から菅平に上がって、大松山の裾にある峠を越えて保科郷へ下り、そこから善光寺へ行ったのでしょうか。上田平から川中島へ千曲川沿いに向かう途中には、両側の山が迫っているところがあって、牛が自由にそこを歩いていったとは考えられません。上信越道は、ですから、上田平北方にある太郎山の山腹に空けられたトンネルを通っています。あの太郎山は、亡母の実家からも、阿佐ヶ谷の駐車場の管理人の実家からも見えます。 あの善光寺というお寺は非常に興味深いお寺です。それまでに何回も善光寺へ行ったことがあるのですが、2011年に訪ねて、境内をくまなく歩いてきました。あそこにも、非常に興味深いモノが残っています。そして、善光寺では「出開帳」という習慣があったのですが、幕府から特別な許可を得て、江戸城の大奥でも出開帳をしていました。それで、大奥の身分の高い女性の宝篋印塔が境内に残っています。 そして、「善光寺には宗旨はない」といわれていますが、あそこは天台宗と浄土宗のお寺が本堂を交替で使っています。ですから、ご開帳の時は、それぞれの宗旨のお寺が儀式を行っています。天台宗の「大勧進」には25の院があり、浄土宗の「大本願」には14の坊がありますが、浄土宗の「大本願」は尼寺です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.04 13:57:44
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