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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【旧高遠藩領内の民家にあった千木】 ネット上にある動画を見ていたら、旧高遠藩領内のとあるところで行われているコトが写っていました。それが気になったので、多分ここだろうと思って、去年の5月22日にその村を訪ねました。そして、そこにもはっきりとしたキリシタンの痕跡が残っていることを確認して、車で下りてきたのですが、その途中に大きな民家があり、案内板が建てられていたので、車から降りてその民家を見てきました。 案内板を読む限りでは、この辺りの肝煎の屋敷のようです。そして、屋根を見上げると千木がありました。守屋神社とおなじ型式の千木が6組、屋根の上にありました。この建物は間違いなく民家です。神社ではありません。 案内板には建物の間取りが描かれていましたが、奥座敷に床の間と仏壇があるのですが、その裏側に間口一間、幅二間の「奥の部屋」と書かれている部分がありました。会津の農家の一般的な造りでは、ここは夫婦の寝室になるのですが、この「奥の部屋」と奥座敷の間に床の間と仏壇がありますから、「奥の部屋」が夫婦の寝室ではなさそうです。 ただ、会津のあるところに残っている古い民家では、仏間に仏壇があるのですが、その反対側に部屋があるのを見たことがあります。そして、仏壇の奥とその部屋の間に一尺くらいの間隔があったのを憶えています。この写真の民家には、敷地内に倉がありますから、大切なものを保管しておく部屋ではないだろうと思います。そして、この「奥の部屋」にだけは、幅一間の押入があるようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.04 20:42:30
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