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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【旧高遠藩領内の民家にあった千木】 昨夜ご紹介した、屋根に不思議な千木がある大きな家の全景です。これ以外に土蔵やトイレが別に建てられています。大きさは、「桁行十一間に梁間五間」であると案内板に記されています。つまり、この母屋だけで、建坪が55坪あることになります。そして、「山間の地形に合わせ、山すそを削って台地を造成し、自然環境をよりよく利用した山村の屋敷構えを構成した格好の実例と言える。」と案内板に記されています。 しかし、屋根の上にある千木に関する記述はありませんでした。それでも、帰りがけに、庭に牡丹がありました。しかも、この建物は「構造や手法から十九世紀中ごろの建築と見てよさそうである。」とも記されています。19世紀中ごろであれば、幕末も幕末、戊辰戦争の頃です。あの頃に、屋根の上にこうした千木が取り付けられているというのに、度肝を抜かれました。 やはり旧高遠藩領内でも、宗門人別制度に組み込まれながらも、キリシタンが隠れ続けていたということであろうと考えられます。そして、この一帯も旧高遠藩領内であったこと、つまり保科正之公が高遠藩主であられた時には、保科高遠藩の領地であったということは、高遠史に関する文献から明らかです。 そして、不思議なことを思い出します。お静の方は大奥で将軍秀忠の目に止まったとされていますが、お静の方はどのようなつてで大奥に上がることが出来たのでしょうか。答えは『会津藩家世実紀』にある、とある記録に隠れています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.05 08:46:53
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