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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【旧高遠藩領内の屋根に千木のある民家の間取り】 旧高遠藩領内の、屋根に千木のある民家の間取りです。案内板に描かれていました。この左上の「おくのへや」が気になります。また、奥座敷と中の間は襖で仕切られているだけですから、取り除くことが出来ます。そして、下座敷とその奥の「へや」の間の襖も取り除くことが出来ますし、奥座敷と「へや」の間と中の間と下座敷の間にある襖を取り除くとかなり広い部屋になります。養蚕をしていた時代には、畳も上げてしまってここで養蚕をしていたかもしれません。畳を上げてしまっても、藁草履があれば問題はありません。亡母の実家でも、阿佐ヶ谷の駐車場の管理人の実家でも、そうなっているのを見たことがあります。そして、亡母の実家では二階にも部屋があって、そこにも蚕棚が作られていた記憶があります。一番奥の部屋が物置になっていて、機織りの機械があって、触ってみたかったのですが、如何せんかなり暗いところだったので、怖くて奥までは入れませんでした。 しかし、亡母の実家にも、阿佐ヶ谷の駐車場の管理人の実家にも、叔母の家にも、「おくのへや」のような部分はありませんでしたが、会津でこれに似た部屋があるのを見たことがあります。古い民家が公開されているところでしたが、その一帯にキリシタンが広まっていたことは間違いありません。伝承が残っていますし、それを示すはっきりとしたモノも残っていました。 そしてここでは、非常に興味深いモノを見付けました。ただ、高いところに積まれていたので、それとはっきり判る写真を撮ることが出来ませんでしたが、それが何に使うものであるかはすぐに判りました。ただ、会津の民俗館で見たものとは形が異なっています。というよりは、会津のそれを見た時に、信州のとは形が異なることに気が付かされたことがありました。 今では、会津でも、伊那谷でも、一部の農家にしか残っていないかもしれません。それを使うためには、あるものが植えられている畑がなければならないのですが、小生が会津に住みはじめた頃にはもう、その畑を見ることはほとんどありませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.05 16:11:27
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