|
テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【稲の干し方】 これは去年ここでご紹介したことですが、上の写真は千曲川沿いで撮った写真です。真ん中は伊那市高遠町中心部からそれほど離れていないところで撮った写真です。しかし、下の写真は山形市で撮った写真です。どれも脱穀前に田圃で稲を乾燥しているものですが、千曲川沿いでも、伊那市高遠町でも同じように干していますが、山形市ではこうした形で干されていました。 会津では、こうして脱穀前に自然乾燥することはほとんど見られなくなりました。現在は脱穀した後、大型乾燥機で乾燥しているようです。但し、美味しいのは自然乾燥したモノですから、農家で自家消費する分は自然乾燥しているお宅もあります。 小生は、稲刈りの頃に亡母の実家へ行ったことがないので、どのように乾燥していたかは判りませんが、脱穀した後の稲は、下の写真のように杭を1本立てて、それに藁を掛けて積み上げられているのは見たことがあります。おそらく、飼っていた牛の餌になったのであろうと思います。 1979年3月に会津に住みはじめた頃に、会津のあるところでは、この両方の干し方が行われていました。それが気になって、地元の方にお伺いしたら、「家ごとに干し方が異なる」という答えが返ってきたのを憶えています。村毎に異なるというのであれば解りやすいのですが、村毎に異なるというのが理解しにくかったのですが、会津のキリシタン史を研究していたら、その答えを『会津藩家世実紀』にある保科松平会津藩の対キリシタン政策から見えてきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.07 11:27:52
コメント(0) | コメントを書く |