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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【土津様】 「元禄二年閏正月十五日、切支丹宗門類族之者従公儀御赦免、 『会津藩家世実紀』の元禄二年閏正月十五日に記されている部分ですが、この(以下略)とした部分を、関心のある方は是非、お読み下さい。小生は、かなり以前にこの部分に気が付いて、それ以来、悩み続けてきました。そして、この部分を思い出すたびに「まさか」と考えて、自分を納得させてきました。しかし、『会津藩家世実紀』のキリシタンに関する記録やこれに関連するとお思われる部分を丹念に読んでいくと、「まさか」が「もしかしたら」に変わりました。 そして、その悩みに決着を付けてくれたのは、あるお寺を訪ねた時でした。そのお寺の墓地は非常に狭いのですが、十字墓が残っていましたし、その十字墓は最近になって建てられたものでした。「高遠でも隠し続けてきたのであろう」と感じざるを得ませんでした。「会津の正史」といわれる『会津藩家世実紀』でさえ、その内容に不思議なことが隠れていることがあります。 引用した個所に続いて、類族御免になった家や人物の名前が記されています。小生が気になっていたのは、とある人物の姓です。おそらく、元々は高遠藩士だった家ではないであろうと思われますし、保科正之公に関心のある方であれば、その姓がどういう家の姓であるかご存じであろうと思われます。『会津藩家世実紀』の編纂者は、パソコンも知らなければ、データベースの威力も知りませんが、会津のキリシタンに関するモノやコトをデータベース化すると、そのデータベース化の作業をしている時に、重大なことに気が付かされることが何回もありました。そして、この個所が、「もしかしたら」を「間違いなく」に変えてしまいました。「そんな馬鹿な‥‥‥」と思われる方が多いだろうと思いますが、しかし、この元禄二年閏正月十五日の記録が捏造されたものであるとは考えられません。これに気が付いたときには、三晩くらい眠れませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.07 20:38:27
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