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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【保科正之公の生母・お静の方】 伊那高遠の高遠城趾から少し離れたところに、真言宗の樹林寺というお寺があるのですが、その境内に保科正之公の頌徳碑の横に建てられていた、生母・お静の方の供養塔(五輪塔)です。ごく最近になって建てられたものであろうと思われますが、「寛永十二年 九月十七日」「法紹日恵大姉淑霊」「行年 五十二才」「俗名 志津」と彫られています。 ここは真言宗のお寺ですが、お静の方の葬儀は日蓮宗で執り行われました。このことは、『会津藩家世実紀』に少し詳しく記されています。そして、日蓮宗の総本山・身延山久遠寺にある碑には「法紹日恵霊」と書かれているとウィキペディアにあります。多くの方々は、まさかと思われるだろうと思われますが、今年こそ、身延山へ行って確かめてきたいと思っています。 そして、お静の方は、「後北条氏の家臣、神尾栄嘉(あるいは武蔵板橋の大工の娘とも)。」とウィキペディアにありますが、『会津藩家世実紀』のとある記録からすると、間違いなく神尾栄嘉(かんお さかよし)の娘であろうと思われます。幸松(保科正之公の幼名)を連れて伊那高遠へ来たときに、神尾家から同行した人物がいたことを『会津藩家世実紀』で確認出来ます。 また、将軍秀忠とお静の方の間には、もう一人子供が出来ましたが、「お江が強い女性だったので、」それを気にしてその子供はお腹の中で亡くなっているとされています。そして、二人目を身籠もった時には、必ず産むと決心して、お静の方は幸松を産んだということは多くの方がご存じであろうと思われます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.08 17:52:24
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