|
テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【風景に隠れた謎を解く】 2004年に所用で出かけえた帰り道で撮った風景写真です。勿論、キリシタンの研究に関わる場所なので写真を撮ってきたのですが、会津のキリシタン史に関係があるところなので、もう一度、この場所を確かめたくてこの道を通って会津若松市街地まで帰ってきました。 会津史に関する史料や文献を読んでいて、あるいは市町村史に目を通していて気になっていることで、解決できないことがあったのですが、伊那高遠を訪ね続けているうちに、謎が解明出来ました。それだけではありません。会津には蒲生時代のキリシタンと加藤時代のキリシタンと、そして保科正之公以降のキリシタンが共存していることも見えてきました。 『新編会津風土記』は幕府に献上するために編纂された風土記です。編纂者は非常に優秀な人物です。そして、この人物は高遠以来、保科正之公の重臣だった家の人物です。ですから、隠さなければならないところはしっかり隠しているのですが、しかし、誠実な人物だったようで、狡賢さとは無縁の方だったようで、隠し切ることが出来なかったようです。 この写真を撮っているところからそれほど離れていないところに、岡越後守四郎衛門左内がこの写真に写っているところにある城の城代だった時に、セミナリオがあったのですがそれを隠そうとしています。そして、同時に、岡越後守四郎衛門左内を隠したつもりだったのでしょうが、やはり隠しきれていません。この一帯でキリシタンの大殉教が起こった時に、岡越後守四郎衛門左内も処刑されたと考えられていますが、小生はそれが納得出来ないでいたので、ある史料に記されている人物を岡越後守四郎衛門左内だとして考えていくと、様々な不思議なモノが持っている謎を解き明かすことが出来ました。岡越後守四郎衛門左内は蒲生氏郷の時代から蒲生家の家臣で、人望の厚かった人物です。そうした人物の首を刎ねることが出来た武士がいたかどうか‥‥。むしろ、ある史料に記されている人物を岡越後守四郎衛門左内だと考えると、それに関する謎がすべて解決出来ます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.08 21:26:10
コメント(0) | コメントを書く |