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テーマ:日本の未来(224)
カテゴリ:キリシタン
【最近の日韓関係について 朴正煕】 安重根記念館の前庭に建てられていた石碑です。「民族正気〇殿堂」と彫られていて、「一九七九年九月二日 大統領 朴正煕」と小さな字で彫られています。この朴正煕元大統領については、様々な意見がおありであろうと思われますが、この朴正煕元大統領が大統領であった時に日本をどう考えていらっしゃったかを知ると、ある意味では非常にうれしく思えますが、しかし、事柄によっては非常に悲しく思えてくることもあります。 この朴正煕元大統領が大統領であった時代のことを知っている方々は、まだ少なくないと思いますが、皆さんはあの時代に、朴正煕元大統領をどのようにお考えだったのでしょうか。そして、現在の韓国大統領は朴正煕元大統領の娘である朴槿恵大統領ですが、世代が異なると、考え方がこれほどまでに変わるのかと思わされています。 どちらにしろ、「従軍慰安婦」という用語は戦後になって造られた言葉です。従軍記者や従軍看護婦はいました。従軍看護婦は日赤が派遣した看護婦です。亡母の看護婦手帳を見るとそれがはっきりしています。それでも、「赤紙」は来ていました。何故か判りませんが、その赤紙も実物が小生の宝物箱にあります。ただ、小生が子供の頃に行っていた病院には亡母を知っている看護婦さんがいて、あの方たちは小生を名前で呼んでくれていました。 ただ、注射の時に「痛い」と言うと、「針を刺しているんだから痛いのは当たり前でしょ」と亡母と同じことをおっしゃっていました。あの看護婦さん、小生が大学生の時には婦長さんになっていて、目を盗んで悪いことをするのが大変でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.09 21:49:05
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