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カテゴリ:キリシタン
【旧高遠藩領内の双体道祖神】 この2基の双体道祖神は旧高遠藩領内の村の中の道路脇にありました。上の写真の双体道祖神は、もしかするとここが村の入口なのかもしれないと思えるところにあります。 小生が「旧高遠藩領内」と呼んでいるのは、保科正光や保科正之公が高遠藩主だった時代に、高遠藩領だった地域で、鳥居氏以降に開墾されたところは入っていません。しかし、鳥居氏以降に成立した村にもキリシタンの痕跡が残っているのを昨年確かめてきました。そして、高遠で宗門人別制度が施行されたのは、内藤氏が高遠藩主になってからのことであろうと思われます。それは、とあるお寺に建てられている案内板に書かれたことから判ります。 勿論、宗門人別制度が施行される以前には、高遠藩でもお寺は一般民衆の死に関わるイニシエーションには関与していません。これは、会津に限られたことではありません。ただ、まだ宗門人別制度が施行されていない時代の年号が彫られた墓石がありますが、それらは後の時代になって建てられたものであろうと思われる墓石です。それほど風化していません。 こうした男女の像、しかも下の写真の男女の下半身の着衣は旅装束のものです。聖書の中にある男女の旅で、何か思い出されることはないでしょうか。小生は道祖神に関する本をかなり以前に手に入れたのですが、そこにある双体道祖神の写真を見ていて、ふと思わされました。しかし、これを確定できる史料は残っていないようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.10 08:15:36
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