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2014.02.12
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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン

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【二本松少年隊】

 これは前掲の下の写真にある案内板に、「我が子の出陣服に藩主丹羽氏の家紋・直違紋(すじかいもん)の肩印を万感迫る思いで縫いつける母の像」と書かれている像です。数え年十三歳の子供を送り出す母親の心の中は、想像を絶するほどのものであったであろうと思われます。

 ただ、こうした女性も武家の女性でしたから、それなりの覚悟はあったであろうと考えられますが、肩の部分に肩印を縫いつける指が震えていたかもしれません。この時代に、戦のことに女性が口を挟むことなど、まったく不可能でした。そうした教育をされてきたからこそ、武家に嫁ぐことが出来たのですが、しかし、彼女たちはだからこそ、余計に痛みを感じていたようにも思えます。

 所長の孫の中で一番年長の男の子は、今年で数え年十三歳のはずです。それを考えると、この婦人の心の痛みの一部を小生でさえ理解できるように思えます。西軍は戊辰戦争の後、すぐに憲法を定め、国会を召集したわけではありません。薩長土肥の上級武士と一部の貴族によって構成された枢密院が政治の実権を掌握していました。

 こうした変革を「近代市民革命」と何故言えるのか、小生には不思議でなりません。「勝てば官軍」とは、一体どの様な方がおっしゃったのでしょう。実に当を得た言葉だと思います。そして、勝った者が正義になります。






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Last updated  2014.02.12 12:42:36
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