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テーマ:日本の未来(224)
カテゴリ:日本の未来
【宗教の未来】 憲法の解釈を変更して、選挙で国民にそれを問うという発言が国会の委員会で為されたようですが、「憲法を読んだことがあるの?」と質問したくなりました。近代市民社会では、国民が会っての国家です。国家のために国民がいるわけではありません。そして、憲法はその為に必要な基本的な規定を定めているからこそ、国会議員の3分の2の賛成がなければ改正の発議出来ないとされています。 3分の2の賛成が得られない可能性が高いので、裏技を使おうとしているのかもしれませんが、そうした裏技自体が憲法の根幹に抵触しています。そして、裏技はあくまでも裏技であって、憲法が憲法であることの重みを無視しているとしか言いようがありません。日本が集団的自衛権を行使することが出来るかどうかということは、政府が主導して決めることではなく、国民がそれを徹底的に議論しなければならないことで、その結果を国会が判断するのでなければ、日本は近代市民社会であるとは言えなくなってしまいます。 最近、いくつもの新聞のサイトを読んでいると、初めから目的があって、集団的自衛権の行使を出来るようにしたいと考えられているように思えて仕方がありません。民主主義というのはお題目ではありません。憲法や法律や予算が、国民の意思で決定される社会のあり方をいう、極めて現実的な言葉です。ですから、国会議員の3分の2の同意を得て、国民投票によらなければ憲法を改正することは出来ないとされています。「外国ではもっと簡単に改正できる」ということをおっしゃる方がいますが、外国は外国で、日本は日本です。しかも、日本は唯一の核被爆国であり、二度と戦争はしないと決断した国です。 この写真に写っている石像ですが、アルファとオメガが見えるように思えてなりません。そして、安全・安心・平和を祈っている姿に見えます。21世紀の宗教は、そうした時代の中で何を語らなければならないのか。自らの正統性を主張し、その中で平和を議論するのではなく、宗教の枠を越えたところで議論しなければ、宗教的対立による戦争がまた起こりそうに思えて仕方がありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.13 10:18:53
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