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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【旧高遠藩領内の「庚申」碑と「道祖神」碑】 前述の神社の階段を上がる手前に、「庚申」碑や「道祖神」碑がありました。「庚申」碑はどちらも庚申の年に建てられたものです。右端の「庚申」碑には「昭和五十五年」と彫られています。ここをお読み下さっている方々の中には、この頃にお生まれになられた方もいらっしゃるかもしれませんが、昭和五十五年は、小生にとっては最近のことという感じがします。 つまり、この一帯にも庚申の年に「庚申」碑を建てるという不思議な習慣が最近まであったということです。そして、2040年にまた「庚申」碑が建てられるかどうかに、小生は非常に大きな関心を寄せています。なにしろ、旧高遠藩領内には庚申の年に建てられた「庚申」碑が多数残っています。これは、所謂「庚申塔」とは明らかに意味が異なっています。 庚申のマツリは年のマツリではなく、日のマツリです。60年に一度一度巡ってくる庚申の年に、何故こうした「庚申」碑を建てるようになったのか。そして、この習慣が残っていた村が会津にもあるのですが、おそらく旧高遠藩領内にあった習慣が会津に入ってきたのであろうと思われます。そして、一番気になるのは、会津ではあの村にしかない非常に珍しい習慣なのですが、何故か『新編会津風土記』に記されていません。 ただ一つ、はっきりしていることは、あの村も宗門人別制度に組み込まれるまでは、「太子守宗」だったことです。これに関しては、『新編会津風土記』や当該市町村の調査報告書に載っています。「太子守宗」から真宗高田派に転宗しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.14 08:15:54
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