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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【伊那高遠の木地師の村】 秋葉街道から分かれて、少し南アルプスの懐に入ったところに、かつては木地師の村だったところがあります。案内板はありませんが、地元の方にお伺いすると、車で入ることが出来る道を教えて下さいます。ただし、村へはいるところからは舗装されていませんし、全村が離村しているので、道は整備されていません。 小生は、その入口が判らずに奥まで行ってしまって、奥で工事をされている方に場所を教えていただきました。そして、来た道を引き返したら、道路脇に少し大きな岩があって、その上に小さな五輪塔があるように見えたので車を止めたら、この写真に写っている石を積み上げものでした。おそらく、歩いて村に入る路の入口がこの辺りだったのかもしれません。 会津には多くの木地師がいました。その木地師は、蒲生氏郷の時代に会津に入って来た木地師と、保科正之公と共に山形最上経由で会津に入ってきた木地師がいることは、残されている伝承から明らかです。「保科正之公に小椋姓を名乗るように言われたので、小椋姓を名乗っていたが、離村する時に皆、元の姓に戻した。」と全村が離村した村の跡で出会った方に教えていただきました。 小椋姓は伊那谷にも残っています。伊那谷のある村で、あるモノに小椋姓の方のお名前がありました。それは最近になって作られたものです。そして、それに出会ったのは、山の中にある村のお寺でした。ですから、その周辺にある村々にも木地師がいたのであろうと思われます。そうした村々は現在も残っているのであろうと思われます。そして、保科正之公と共に、山形最上経由で会津に入って来た木地師の中にも、キリシタンがいたことは、残されている江戸時代の墓石から判ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.17 08:16:36
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