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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【伊那高遠の木地師の村】 これは伊那高遠の山の高いところに曹洞宗のお寺があるのですが、そのお寺の入口に並べられている観音菩薩石仏です。三十三観音もありました。舟形光背に番号が彫られているのでそれが判ります。この村も木地師の村でした。このことは、とある本に詳しく記されています。そして、おそらくこの村からも、保科正之公と共に山形最上経由で会津に入って来た家々があると小生は考えています。 その家々は小椋姓を名乗っていません。しかし、木地師であったことは、その村に建てられている案内板からも読み取ることが出来ます。そして何よりも、その村には不思議なモノが残っています。これはまた別の本に、屋根に千木が付いている民家の写真が載っていました。民家の屋根に千木があるのですから、何らかの特別な意味を持っているのであろうと思われます。 会津のキリシタンは奥が深いです。ここまでは見えるのですが、ここから先が見えません。『会津藩家世実紀』を読み始めた時に、かなり奥まで見えるだろうと期待したのですが、『会津藩家世実紀』にさえ、3000人の旧高遠藩領内の農民が武士に取り立てられて、保科正之公と共に山形最上経由で会津に入って来ていることが記されていません。しかし、旧高遠藩領内には、それに関する伝承がしっかり残っています。 小生がこの伝承を知ったのは、旧高遠藩領内を訪ねた時が初めてでした。会津では、目にしたことも、耳にしたこともありません。30年以上も会津に住んでいて、一度も聞いたことがないというのが気になったのですが、会津ではこれはタブーだったのかもしれません。しかし、高遠でこのことを耳にし、松本平の旧高遠藩領内で耳にし、その他、行く先々で耳にしてきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.17 08:17:48
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