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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【信濃路の風景】 去年の7月1日、伊那谷へ出掛ける前に国土地理院の地形図でこの場所を見付けて、訪ねることにしたのですが、ここまで上がってくる道がどうなっているか判らずに困っていたのですが、ここよりはずっと下の村で郵便の集配をしている車に出会ったので、ここのことをお伺いして、「まだ2軒ほど、人が住んでいます」とのことでしたので、途中、ヒヤヒヤしながらもここまで上がってきました。ここも旧高遠藩領内つまり保科正之公が高遠藩主であられた時に高遠藩領だったところです。 写真に写っている山々はそれほど高くないように見えますが、標高1200mから1500m程度の山々です。天竜川が流れている伊那谷自体の標高が高いので、低山帯のように見えるだけです。しかし、伊那谷が長野県の南部にあるので、この辺りでも冬には雪は少ないようです。 そして、国土地理院の地形図には、この辺りには家がもっと多くあったように描かれています。そして、田圃の記号が描かれているのですが、現在はすべて、休耕田になっているか、畑になっていました。それで、何も残っていないだろうなと思いながら、下り始めたのですが、上がってくる時には気が付かなかったところに、キリシタンのはっきりとした痕跡が残っていました。 そのキリシタンの痕跡は、既にここでご紹介しています。そして、江戸時代にもここに村があったことも確認することが出来ました。ということは、内藤家が高遠藩主だった時代にもこの村があったということになります。しかし、残されているモノのかずが少なかったので、それ以上のことは判りません。しかし、残されたモノからすると、この村にはキリシタン伝承が残っているかもしれないと思いながら、またヒヤヒヤしながら下りてきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.23 17:29:29
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