|
カテゴリ:キリシタン
【木曽谷・贄川(にえかわ)関所】 高速長野道の塩尻インターで下りて、国道19号線を走っていくとそれがそのまま木曽路になります。途中に贄川という村があるのですが、そこに関所の跡があります。時間を考えて、少し躊躇したのですが、中を見学してきました。古い建物を改修した建物なので、江戸時代の建築様式が残っています。 上の写真で、陽が当たっていて読みとれないところは「江戸時代は基礎代官山村氏が臣下をして贄川関を守らしめ特に婦女の通用並びに白木の搬出を厳検せり。」と書かれています。そして小生は、ここで貴重な出版物を手に入れることが出来ました。特に『楢川村の石像文化財』という、旧楢川村教育委員会が発刊した本は、掲載されている写真の数が多く、非常に良い史料として、ここですぐ手の届くところに置いてあります。平成三年に発光された本ですが、楢川村は塩尻市と合併しましたから、再版されることはないかもしれません。 また、関所跡には係の方がいらっしゃって、色々とお話をお伺いすることが出来ましたし、一番奥の部屋の壁には、そこを通った人物の名前が記さたものが掲げられていました。「江戸時代は基礎代官山村氏が臣下をして贄川関を守らしめ特に婦女の通用並びに白木の搬出を厳検せり。」と案内板に書かれているのですが、江戸時代の社会情況を的確に表しています。会津ではでは、会津の女性の通行だけでなく、会津の漆、蝋燭などの移動は、基本的には禁じられていました。因みに、漆と蝋燭は藩の専売品で、一般民衆は使うことが出来ませんでした。 下の写真で、関所の建物の屋根が板葺きになっていますが、高遠でも多くの民家は戦後まで板葺きだったようです。大火があった時の写真が、高遠の写真集に残っています。また、高遠藩では、こうした木から作った薄い板は、高遠藩の管理下にあったようですが、東北の太平洋岸では、復旧工事の為の資材が不足しています。いっそのこと、復旧が完了するまでは、国が資材の移動を管理したら、もっとスムーズに復旧が進むのではないかと思っています。昨日だったか、一昨日だったか、また入札不調のことが新聞のサイトに載っていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.24 12:00:42
コメント(0) | コメントを書く |