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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【旧高遠藩領内の転切支丹類族墓石】 「3000人の農民が武士に取り立てられて、保科正之公と共に山形最上経由で会津に移住している」という伝承は、旧高遠藩領内を巡ってきて、間違いないと確信出来るようになりました。それは、墓地を歩いていると、姓や家紋がどうしても目に入ってきます。そして同時に、転切支丹類族墓石が残っていると、保科正之公が何故そうしたことをされたのかに関しても、「理由はこれしかないだろう」と考えさせられてきました。 これは、ネット上でとある動画を見ていて気になることがあったので訪ねた村の墓地にあった墓石です。上部に<〇>が彫られています。司東真雄師は、その著書の中で、こうした<〇>が彫られている墓石はキリシタンの墓石であるとされています。そしてこの村があるところも、保科家が高遠藩主だった時代には、間違いなく高遠藩領でした。 また、去年の7月に訪ねたところでは、その周辺には「マキ」という同族集団があるとお伺いしたのですが、姓が同じ家々から成立している同族集団だとお伺いしました。こうした「マキ」は会津にもあり、現在も残っています。会津藩領のとある村では、道路脇に家々が並んでいるのですが、2つの「マキ」があって、「マキ」によって墓地が異なっていました。そして、その村には、「先祖は武士」という伝承も残ってます。 そして、旧高遠藩領内を巡っていると、会津にある姓と同じ姓の家々がある村に出会うことが少なくありません。そうした姓の中には、会津で生まれ育った方々であれば、知らないはずはないと思える姓もあります。そして、旧高遠藩領内で見つけた不思議な千木と同じ型式の千木が屋根に取り付けられている観音堂もここでご紹介したことがありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.24 20:44:00
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