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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の「二十三夜供養塔」】 前述の石塔と同じところに建てられていた石塔です。「二十三夜供養」が彫られています。こうした石塔が並べられているところは、会津では少なくありません。そして、会津に「二十三夜」の月待の習慣がどこから入ってきたかも、気になっていたのですが、伊那谷を訪ね歩いて理解することができるようになりました。 こうしたコトは、他にもあります。その中には典型的なキリシタンのコトも伊那谷から会津に伝わっています。それも伊那谷から順次、会津までの土地にそのコトが伝わっているわけでないことを確認出来たので、断定することが出来ました。ここまで見えてきたら、保科正之公が何故、3000人の農民を武士に取り立てて、山形最上経由で会津に連れてこられたのかも見えてきます。それを一番はっきりと示してくれたのが、『会津藩家世実記』に残っている記録でした。 そして、それらを完璧なまでに補完してくれたのは、会津に残っているモノです。しかも、『会津藩家世実記』に残されている不思議な記録をも、残されているモノが解決してくれました。ここでもご紹介しましたが、千木です。会津でも、一般の民家にも千木が取り付けられていたところがありました。それに気が付いたのは、歴史研究とはあまり関係がない、会津に関する事が記された、とある一冊の本に載っていた写真です。 今日は、これから車に荷物を積み込んで、東京分室に向かいます。途中の道路に雪はなさそうなので安心しています。多分、午後の早い時刻には東京分室に着くことが出来るだろうと思っています。ただ、坂道が気になるので、持って行く本の数を減らすことにしました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.26 06:43:46
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